私を、離さないでいてね。
ずっと、そばにいてね。
そう言ったのは、私だった
「マスター!喉渇いたーっ!」
大きな声でそう言い酒場に入ってきた女を、悟浄は少し驚いて見た。
今日はなぜだか騒ぐ気分になれなかった悟浄は、
自分の家から少し離れた、顔見知りは誰もいないような小さな酒場を訪れた。
人はあまりいなくて、落ち着いて飲めそうな雰囲気だ。
悟浄はカウンターの席に腰掛け、1人悠々と酒を飲んでいた。
一口グラスに口をつけたときだった。
その元気な女の声が、店内に響いたのは。
「久しぶりだねぇ、ちゃん」
「うん!お金なくて、最近これなかったんだ。いつものやつ頂戴ね。」
悟浄の隣に腰掛けたその女は、マスターととても親しげに言葉を交わしていた。
横目で女を見る。
すると、女もこちらを向いた。
「あなた、この店に来るの初めて?」
「ああ」
なんの躊躇いもなく、顔も知らない客と話を交わす。
悟浄の今まで通っていた酒場もそうだった。
だから別に話し掛けてきたことには、なんの疑問ももたない。
「やっぱり!だってそんな目立つ色してたら、絶対覚えてるはずだもの」
「…」
どこに行っても、この『色』の話ばかりしやがる。
半ば諦めの色も見せた表情で、悟浄は視線をそらした。
「お待たせ」
マスターがの前にグラスを置いた。
嫌味のような赤い色が、そのグラスの中を泳いでいた。
「私、っていうの。あなたは?」
「沙悟浄。悟浄でいいぜ」
というその女は、こちらの気分も無視で、満面の笑みを浮かべている。
「悟浄ね。覚えた。毎日こうして飲み歩いてるわけ?」
「今日はたまたま、だよ。いつもは女ひっかけたりバクチやったり…」
「ふぅん…」
「お前さーどう見ても酒飲んでいい年には見えねえんだけど?」
はにっと笑って、グラスに口をつけた。
「見た目は軽そうなのに、頭は堅いのね」
「まあさーそりゃ少女を非行に走らせるのは賛成できねえし?」
「…」
は微笑を浮かべた後、グラスの中身を一気に飲み干し、席を立とうとした。
「さて、私はもう行かなきゃ」
「非行?」
「違う、"お金稼ぐ"だけ」
「男で稼ぐ、か?」
「さあ」
悟浄はじっと帰る準備をするを見つめた。
「あのさ」
「何?」
帰ろうとするを、悟浄が引き止める。
「今幸せ?」
唐突な質問に、は少し目を丸くした。
「…」
「楽しいけど、幸せじゃない」
はそう言って、店を出た。
なんでかはわからない。
別にやましい気持ちがあったわけでもなくて。
モノにできたら、なんて、そんな思いはこれっぽっちもなかった。
悟浄はその後すぐに店を出て、の後姿を見つけた。
「…おい!」
「え?」
少しの距離を、悟浄の声が埋める。
はまた少し驚いたように、悟浄の方を振り返った。
「俺の家来る?」
「…は…?」
「暖房完備、風呂つき、ベッドつき!しかもタダ。これよりいいとこある?」
微妙に空いた間が、悟浄にとっては重かった。
しばらく見つめあった後、は、笑顔でVサインで答えた。
「…悟浄」
「あ?」
ベッドの上にちょこんと座ったは、立ったままコーヒーを飲んでいる悟浄を小さな声で呼んだ。
テーブルの上にコーヒーカップを置き、悟浄はを見つめる。
「…してもいいよ」
「!?」
予想もしない言葉に、悟浄は危うく咳き込みそうになる。
「ね?」
「…いや、俺、そういうつもりで誘ったわけじゃねえんだけど…」
視線をそらそうとする悟浄を、の瞳がしっかりととらえて離さない。
真っ直ぐな視線に引かれるように、悟浄はの座っているベッドへと歩み寄った。
「…」
「…ホントにいいの?」
はこくりと頷いた。
悟浄はそっとの肩に手をかける。
同時にその唇にそっと触れた。
一瞬、の体が跳ねるようにびくっと反応する。
悟浄はそっと触れた唇を、すぐに離した。
右手を胸元まで滑らせていくと、の体は余計に敏感に反応する。
悟浄は、の表情をじっと見た。
きゅっと目をつむったまま、動こうとしない。
「…お前さぁ…」
「…?」
「初めて?」
少しの間の後、はまたこくりと小さく頷いた。
「ヤメ。」
「え?」
の頬はほんのり赤い。
悟浄はの体から手を離し、瞳を見つめる。
「初めてをそんな簡単に捨てちゃいけねえだろ」
しばらく見つめあった後、悟浄が照れたように頭を掻いて、目をそらした。
「…っと、おい!?」
じわっとの瞳からこみあげてきたのは、間違いなく涙。
「どうした?悪ぃ、俺…」
柄にもなくあたふたしてしまう。
もともと女に泣かれるのは苦手だが、このときは今までとはなんだか違う気持ちを感じていた。
「ごめ…違うの、私…」
そんなこと、言われたことなかったから。
無理やりやられそうになったことはあっても、こんな風に止められるのは、初めてだった。
「なんか…わかんないよ、涙出てきた…」
「…」
悟浄は少し緊張しながら、の細い体を抱きしめた。
髪をなでると、は少し落ち着いた風を見せる。
をなだめながら、悟浄は一緒にベッドに入った。
悟浄にとって、こんなに気持ちが高ぶって、けれどこんなにも穏やかな夜は、久しぶりのことだった。
『私 いつまでここにいていいの?』
『気が済むまでいりゃいいだろ』
『私の気が済んだら 出ていってもいいの?』
『…それは嫌かも』
『どうして』
『こんなあったけーの、久しぶりだからさ』
が悟浄の家に住みついてから、数ヶ月ほどたったときのことだった。
「よう、ちゃん?」
「…!」
買い物に出掛けたの目の前に、1人の男が現れた。
「元気?いつさぁ、ヤらせてくれんの?」
「…っ」
「前に金渡したよなあ?『今度付き合ってあげるから』って言ってたよな?」
「やっ…」
男に掴まれた腕を、必死に振りほどこうとする。
けれど、そんな抵抗は男の前では無力だった。
「行こうぜ、どうせ帰るとこともねえんだろ?」
「やだっ…!」
そう声を上げたとき、の目の前に赤い色が見えた。
「…オジサン、こいつは俺のなんだけど。なんか用?」
「くっ…!」
悟浄の長身とその睨みに圧倒され、男はの手をすぐに離し、そのまま逃げていってしまった。
悟浄はその後姿が遠くに消えるのを確認し、を見る。
「帰ってくんの遅かったからよ、どうしたのかと思ってきてみりゃ…なんだありゃ、ナンパか?それとも、知ってる奴?」
「…う、ううん…全然、全然知らない人…」
は黙って男の逃げていった方角をじっと見つめている。
そっとの肩に手を回すと、わずかに体が震えていた。
「…今度出かけるときは、1人で行くなよ?」
は無言で頷いた。
よっぽど恐ろしかったのだろうと、悟浄は思う。
「帰って飯食おーぜ、な?」
「…うん…」
が悟浄と出会うまでは、自分の若さを利用して、男たちから金を得ていた。
体は売っていないとはいえ、そうなりそうなシチュエーションには何度か遭遇してきた。
もちろんその気にさせて、金を取っていたことも。
けれど、女1人が生きていくには、そうするしかなかったのだ。
そうは思っても、何も知らないふりをして、悟浄と一緒にこうしていると、
自分の心は罪悪感で重たくなっていく。
◇◇◇
「…?」
「…ん?」
ベッドの中で、がどこか遠くを見つめて、物思いにふけっていることに悟浄が気づく。
「どうした?」
はゆっくりと悟浄の方へ向き、顔を寄せた。
「…何、発情期?」
「…そうかも」
自分の精一杯で、は悟浄にぎゅっと抱きついた。
悟浄もさらに強くを抱き返す。
「悟浄…」
「なに?」
「そばにいてね…」
「?」
「何があっても…離さないで、私を…」
「何今更言ってんの。当たり前だろ」
「うん…」
「どうしたんだよ、…」
「悟浄…大好きよ、大好き…」
この幸せが、いつまで続くのかしら?
いつまで私は、前の私を知らないふりして、生きていけるかしら?
ずっと、悟浄の傍に、いられるのかしら?
+++’04 3 12+++
ろくでもない出来ですみません、朱夏さん(><)
1話ではなんだか到底足りない話のはずだのに、
ここまで詰め込んでしまいました…(反省)。
しかもなんだか長いわ。
しかもなんだか急展開なお話です。
よろしければ貰ってくださいませ。
黒須愛、頑張って精進いたします。
ありがとうございます。
悟浄さ〜ん!!!!何時見ても、愛さんの書かれる悟浄さんは素敵です!
こんな素敵な夢をありがとうございます。
素敵です。それしか言葉が出て来ません。
よろしい所かかっぱらって行きましたもん。
PCに保存してから、読みましたし。誰も盗まないってのにね…。
愛さん、ホントにありがとうございます。